レクイエムは誰のため?

祖母が亡くなった。離れて住んでいたが、私は祖母に可愛がってもらった。祖母が作るさわらの煮付けが好きで味を思い出すこともできる。ここでも書いたが、彼女は本当にアクティブで、いろいろなところに連れて行ってもらった。横浜に初めて行ったときも祖母が一緒だった。
身近な人がなくなることは初めてではない。それでも私には一番ショックで、いつもうるさい私の家族も皆黙りこくっていた。分かってはいた。長くないことも。祖母は難病認定を受けており、筋肉が弱っていき最後には瞬きしかできなくなる疾患に罹っていた。発症するのが70歳過ぎというのは珍しいらしく、他所の病院から研究のため祖母を見に来る医者もいたらしい。元気な人が突然病気になり、弱っていくのを見るのは辛い。何故祖母なのだろうか?と思った。神様は残酷だと。
祖母は信心深かった。そこから私は様々な疑問を抱き、葬儀どころではなかった。
本人が信仰していたものとは違う宗教で葬儀は執り行われた。そのことを知っている親族は私だけではなかったが、誰もそのことを言わなかった。いや、言えなかったのだろう。そこで叫ぶことはいくらでもできたのに、私も何も言えず、祖母の遺影を直視できず、ただ俯いていた。早く東京へ帰りたい、とまで思った。
葬儀や読経は遺された人々のためのものだ。
書いてはいけないことだけど、書いた。鬱憤ばらし。


話は変わるが、
お葬式は家族だけではできない。だいたいは葬儀屋にお願いする。
担当してくれた社員はおねえさんだった。
私は彼女を見てビックリした。母はもっとビックリしていた。大叔母はさらにビックリしていた。
すごいメイクだったのだ。
何がすごいって、色黒の肌に、真っ青なアイシャドウ、特太アイライン、バサバサまつ毛、紫がかったピンクの唇。
濃い。葬儀屋なのに…。死者の書に出てくる古代エジプトの人みたいだ。
さらに、ケータイはデコ電。ギラギラ。
大叔母は目を丸くして「あんなケータイ電話あるのねぇ」と珍しそうに見ていた。「いや、あれは自分でやるんだよ。お店でやったら片面1万とかするんだ」と私が言うと、もっと目をまんまるにしていた。
「大変な職業だからねぇ…気持ちは解らんでもない」と母は大人な見解を述べていたが、彼女がケータイを出す度、視線はそちらに釘付けだった。