癒しの旅(前編)

原稿用紙に愛を込め終わり、夏休みが来た。
そこで、仕事が休みだというアリス嬢(仮名)と共に、癒しの旅に出ることにした。
旅と言っても、品川と池袋なので近場。
まず、エプソン品川アクアスタジアムに行った。
品川プリンスホテルに隣接、と言うよりホテルの一施設だ。
中に入ってチケットを買う。値段を確認しようと、発券機の上に貼ってあるビラを見た。
そこには『イルカにタッチ!』の文字と、イルカを撫でて微笑むお姉さんの写真が。各イルカショーの間にイルカを撫でることができるらしい。
「なんと、イルカに触れるみたいだ!!」
「マジでっ?そ、それは触るべきよねえ・・・」
「700円か・・・いや、イルカに触れるんだったら安いものよ!!」
というわけで、700円を払って、イルカに触る予約をした。


チケットを持って水族館の中へ。
トンネル水槽から見た。今はどこの水族館にもあるトンネル水槽、それぞれの工夫を凝らした演出や展示する魚の選択を楽しめるものだが、ここは・・・エイとサメばかり。全体的になんだか灰色だ。アジやタイもいるが、素潜り漁をしている気分である。
「エイかわいいよね〜」がっかりしている私を尻目に、エイに熱い視線を送るアリス嬢。
「いや、どこが?」
「ほら、あの口がさあ」
「アジがいるね」
「・・・お寿司食べたいなあ」
水族館に来た大人の半数が思うであろう不謹慎な感想を口にし、次の大きい水槽へ。
深い青の中に浮かんでいるのは、1匹のマンボウだった。
『ゆかいなマンボウ』と表示があったが、ちっとも愉快じゃない雰囲気。
マンボウは衝撃に弱い生物だ。水族館では、ガラスにぶつからないようネットを張る。そのネット、マンボウの周りをぐるりと囲っているのだが、狭い。とにかく狭い。マンボウはネットに顔を押し付け、両ヒレをバタつかせていた。正面から見るとより哀れ。どこかしらピエロに似ているなと思った。
その姿から、1匹で大海をゆらゆらと漂っているイメージがあるが、マンボウは群れで生活することもあるそうだ。トビウオのように海面から飛び上がることもあるらしい。マンボウの生態は、まだ不明な点が多い。
マンボウを見ていたら、生態なんて分からないままでも良いかなと思った。
私が水族館を好むのは、陸上動物よりも海洋生物が持つ神秘性に惹かれるからだろう。ロマン万歳。なのに、生き物の気配は希薄だとも思う。ここは不思議な場所だ。
さて、全然プールで泳ごうとしないペンギン達を見た後、深海の生き物を集めた水槽へ。
タカアシガニカサゴそっちのけで、赤い魚に釘付けになった。
水槽のど真ん中で、微動だにしないキンメダイ1匹。
「糸ついてないよね」
「寝てるんだ・・・たぶん」
彼(仮定)は人間に対し真正面を向いたまま、置物のように静止している。水槽を叩いても(よい子は真似しないでね)鱗1片さえも動きはしなかった。水族館に来たのに、生体反応皆無の高級魚を見るとは。だいたい、ヒレを動かさずに水中で静止できるのか?謎。
他の水槽は氷の海、東京湾サンゴ礁などの生き物がいたが、どれもそんなに大きい水槽ではなかった。
やはり最も力を入れているのは、イルカプールなのだろう。
アシカショーも観たが、イルカプールと比べると「すっげえ」狭い。お兄さんとアシカの漫才を観ているような感じだった。


うろうろしていると、前のイルカショーが終わり、予約していた時間になったのでイルカのプールへ向かった。
イルカのいるプールは、客席にぐるっと囲まれており、客との距離が近い。最前列から3列目まで、イルカがジャンプすると水しぶきが飛んでくるくらいだ。ショーの時間でなくても、イルカたちはプールを悠々と泳いでいるので、ずっといても飽きない。
イルカに触るのは各回12組。私たち以外は皆親子だった。
順番が最後だったので、子供たちとイルカのふれあいを眺める。案の定、激しく泣く子もいれば、興味津々でプールに手を突っ込む子もいた。悲鳴があがり、見ると、叩かれたらしいイルカが身を翻し、大きな水しぶきを上げていた。さっきまで好奇心で目を輝かせていた子供が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。当のイルカはプールを一周して帰ってきた。正面から見ると、イルカはにたりと笑っているようだった。けけけ。
ついに我らの番に。お姉さんに消毒するよう言われ、手にアルコールを噴きつける。両手を擦り合わせながらイルカに近づく。ニヤニヤ笑いが止まらない。これでは、おねえさんのおみ足に触るおっさんと同じだ。
トレーナーのお兄さんに挨拶をし、説明を受ける。万が一だが、咬まれるととんでもない事になるので、頭に触れてはいけないそうだ。間近で見るイルカは本当に大きい。この巨体が7mも飛び上がるんだから信じられない。
さっきまでニタニタしていたのに、緊張で顔が強張る。ファインちゃん(バンドウイルカ、メス)の背中におずおずと手を伸ばした。
「・・・つるつるしてる」
「合成樹脂みたいだ」
「夢がないなあ」
温かいと思っていたのだが、滑らかで厚い皮膚からは水の冷たさが伝わって来るのみ。
「ナスみたいだって皆さん言いますねえ」とトレーナーさん。
確かに、ナスを洗っているようだ。しばし呆然としていたら、ファインちゃんがくるりとお腹を向けた。
「でも、撫でられているのはちゃんと感じているんですよ。気持ち良いから、撫でて欲しいところを向けてくるんです」
トレーナーさんは彼女のあごをくすぐっている。犬や猫と同じく、そうすると喜ぶらしい。
「背びれは繊維質なので動かせないんです。手は、本当に手なんですよ。5本の骨が入っているんです」
ファインちゃんの顔を窺うと、彼女もこちらを見ていた。目が合って初めて、生き物に触れているんだという実感が湧いてきた。自然と優しい気持ちになる。確かにイルカは温かい。
ファインちゃんと握手をし、その場を離れた。
ショーでは華麗なスピンジャンプで宙を舞う彼女、自分がイルカだったら是非お付き合い願いたいものである。
「彼女ベテランなんですよ」
え、お局イルカですか。いや、私にはイルカ界の松下由樹さんに見える。愛人希望。イルカでも良いじゃないか。


素敵な経験ができる水族館だった。夜遅くまで営業しているので、夕方からはカップルの巣窟だろう。
イルカに触ることはなかなかできるものじゃないです。子供に混じっていかがでしょうか。


癒しの旅は続く。