青かった春

私は今こんなにだらけた生活を送っているが、高校では吹奏楽部に入り毎日のように練習に励んでいた。仲間も気の良い奴らばかりで、練習嫌いの私は彼らのお陰で楽しく過ごせた。

田舎なので卒業すると地元を離れ、都会の大学や専門学校に行く人が多い。私も東京に来ているが、同じように首都で生活する友人は反って少ない。遠すぎるのである。田舎の思想は古い。土地に関する思い入れが激しい。それは地主でなくとも、一般家庭にもある考え方だ。なるべく遠くに行かせたくない。せめて広島、遠くて大阪。私の母は「一度は東京で暮らしたほうが良い。むしろ生きていくには都会が良い」と思っているため、私はあっさりと東京に出てこれた。高校3年生の時、面談で担任に「東京なんて遠いでしょう。お母さんとしては近いほうが安心するよ」と大阪の大学をしきりに薦められたのを今でも覚えている。もちろんは母は「いいえ。行きたいところへ入れたら良いね」と東京行きを奨励。田舎に住んでいるから、都会へ出そうとするのかもしれない。大阪に住んでいたら「東京なんて行くな」と地元の大学で落ち着いていただろう。

離れてから会っていない友人は多い。互いに新しい世界に飛び込んでいるわけだから、疎遠になってしまうものだ。また変わってしまった彼らを見ることは、切ない。戻れないと知りながら頭の中にある時計の針を手で反対に回すみたいだ。それでも針は前に進む。帰ってこない思い出は美化されていく。私はそれが怖い。友人に会うと、否が応でも蘇る青かった自分にも会わなければならない。向き合うだけの余裕があれば良いのだけど、きっとそれは何十年も先のことだろう。

それでも会いたいと思う友人がいるので、部活の同窓会に行ってきた。私がT大を辞め、W大に通っていることは1人しか知らない。開き直って堂々と告白。しかし、一斉に返ってきたのは「なんで?」という訝しげな態度の質問ばかり。知っていた、そんなこと、バカにされるだけだって。現に「バカじゃないの?」と口に出した友達がいた。私は後悔なんてしてない。なのにやっぱり傷つく。これから私はT大退学という肩書きを背負って生きていく。分かっていても重たいものだな。

私を散々バカにした彼はその後、好きな作家の話やどんな作品を期待しているかを熱く語ってくれた。将来活字に携わる仕事を望んでいる私に、その願いを叶えてほしいと暗に言ってくれているのだろうか。へべれけになりただの変態と化していた彼からそんな言葉を聞くなんて、私はただ呆然としていた。人より練習するのに、人より寡黙だった彼は昔と変わらないままで前に立っている。時は流れていくが、何もかもを攫っていくわけではない。卒業してから10年以上経ったとしても、あの時のままでいてくれる人が一人でもいるならば、私は何度でも同窓会に足を運ぶことだろう。