お嬢様、質問をする

さて、講演会の始まりはじまり。
大沢大夫先生はダンディだけど、今日はぎっくり腰で座るとき痛そう。
宮部安寿先生は赤いブーツを履いていて、やっぱりかわいい。
お二人の息のあったボケとツッコミ(たぶん)で、和やかな雰囲気。
文藝春秋主催なのだけど、新潮社講談社も話題に登場。もちろん著名な作家さま達もイケニエになりました。北方謙三氏、伊集院静氏(「いたちっぽ先生」とお二人は呼んでいる)、事務所の一員である京極夏彦氏。お話を聞くと、雲の上だった作家さま達が身近に感じられるところが不思議。
私は講演をメモに留めていたのですが、今見ると、よくわかりません。要約能力に欠けるのかしら。トレーニングが必要ですな。

お嬢様メモから抜粋。
・大夫の2本目(80枚)の原稿料は80万円。昭和54年だけど、食べていけない値段。
・安寿さまデビューは昭和63年。当時は東京ガスでパートをしていたそうな。
・大夫は「永久初版作家」という嬉しくない肩書きを持っていた。ある日、書店へ行くと自分の本が赤川次郎の本の下にあった。これはショック。赤川氏の本が売れないと、自分の本は一冊も売れない!
・「大夫の本は何故売れなかったの?」という安寿父の疑問に、安寿は「大沢さんは少し時代より早かったのよ・・・」と答えた。
・大夫も安寿も「短篇はトレーニングになる」説を支持。
・ベテランの挿絵作家は読み慣れているので、褒められると頑張ろう!と思う。
・大夫「ゴルフも作家も同じ。様々な経験がいるからね」とのお言葉。
・大夫は現在、1時間で6枚書き上げる(!)。これは業界内でも早い。
作家とは明日の見えない職業。保障はない。だからこそ謙虚であるべきだ。
小説家は「なる」より「ある」ほうが辛い。
・新人作家に言う言葉「仕事を辞めるな」「楽しんで」そして「書き続けろ」。
・安寿さま「ミステリは読者がいなければ存在し得ない。逆に純文学は存在が芸術」。

最後に質疑応答がありました。前から3番目に座っていたのが良かったのでしょう。なんと安寿様が私をご指名してくださったのです!あぁ・・・来て良かった。日本で一番売れている作家様が私を・・・。感無量。
「日本語ブームですが、作品を書く上で『正しい日本語』や『流行語』などをどのように考慮しているのですか?」
と質問したつもりなのですが、ちゃんと言えたかはわかりません。だって、あがっていたもの。立ちつくす私に大夫が「座って良いよ」と言ってくださり、更に呆然。夢心地。
お二人は笑顔で答えてくださりました。
・その時代を表現する際には死語も使いたい。校正の時に編集者とバトル。
・「これから先、ずっと読まれるかも」と思うと、死語は難しい。注がたくさん必要になってしまう。それは読みにくいのでは?もちろん版を重ねる度に変わる本もある(京極夏彦著『どすこい』)

サイン本は当たらなかったけど、満足でした。